●GWおせち 申込み開始!
GWもおうち時間ですごすみなさまのために からだとこころを整えるごはんで 薬膳でおせちをつくります
気を巡らせ 血をつくり
温活 デトックスできるごはん
おうち時間に薬膳をどうぞ☺
端午の節句のおせちは
5月3日・4日・5日の3日間限定
2段重 2~3人分 10000円
2段重 4~5人分 14000円
*ローストビーフ *氣香粉豚 *肉巻き *唐揚げ *卵焼き *えびの花椒風味 *大根ステーキorかぶのグリル *節句ちらし *他 野菜の料理
(どちらのコースも1日限定5個)
写真は料理の参考で実際のものとは異なります 重箱2段に詰めます。
1~2人分は 遊山箱ご希望の方はこちらにお詰めします(遊山箱料金は別途詳細は注文時に)
お申し込みは すべて電話予約とさせていただきます。
09032368685 馬渕
*前日17時までのお申し込みとさせていただきます。
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5月におせち?と思いますよね。
実は もともと端午の節句もおせちを食べていたのです。
おせち料理の起源は、弥生時代まで遡ります。
稲作が縄文時代の終わりに中国から日本に伝来し、弥生時代にかけて広まったことで、
狩猟中心の社会から農耕中心の社会へと変わりました。
中国から「節」を季節の変わり目とする暦ももたらされ、
節ごとに収穫を神様に感謝して、「節供」といわれるお供え物をする風習が生まれたのです。
「節供」として供えた作物を料理したものは「御節料理」と呼ばれ、おせち料理のもとになったとされています
弥生時代では風習であったおせち料理が定着したのは、奈良時代から平安時代の時期に、
節の儀式が宮中行事として執り行われるようになったことによります。
唐の暦法にもとづいた節目の日である節日に、邪気を祓い、不老長寿を願う儀式として「節会(せちえ)」が催され、
「御節供(おせちく)」と呼ばれるお祝い料理が振る舞われました。
特に、五節句の日に開かれる節会は重要視され、五節会と言われていたといいます。
平安時代に五節会が、1月1日の元日と1月7日の白馬(あおうま)、
1月16日の踏歌(とうか)と1月の3回に加えて、5月5日の端午(たんご)、
11月の豊明(とよのあかり)に開かれていました。
五節句のお祝い料理すべてが、「御節供」と呼ばれていました。
江戸時代に五節句は祝日として定められ、幕府の公式行事として位置付けられ
人日の節句は1月7日、上巳の節句は3月3日、端午の節句は5月5日、七夕の節句は7月7日、重陽の節句は9月9日。
庶民の間にも「御節供」が民間行事として広まったことで、1年に5回ある節句で豪華な料理がふるまわれるようになり
五節句のうち新年を迎える最も重要な人日の節句の料理が、正月料理として定着しました。
おせちが重箱に詰められるようになった理由はいくつかあり、
一つは「箱を重ねる=めでたさを重ねる」という意味によるものです。
重箱に詰めることで場所をとらない、重箱に入れておくとお客様に振る舞いやすいといった理由も挙げられます。
おせち料理の歴史を振り返ると、節といわれる季節の変わり目に神様に収穫を感謝する風習の「節供」が起源です。
(参考文献 グルすぐりよりhttps://gurusuguri.com/special/season/osechi/spcu-osechi_yurai/)
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